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龍馬の参謀力

キーパーソンとパートナーシップを育む龍馬の人脈開拓力(西村克己)

 ここからは、龍馬の人脈開拓力について考えていきます。龍馬の人脈がなければ、薩長同盟も大政奉還もなかったかもしれません。現代においても人脈作りは重要です。待っていても広がりませんし、名刺交換しただけでは人脈とは言えません。お互いが信頼関係を構築し、お互いの能力を認め合うことで初めて価値ある人脈になるのです。

キーパーソンとパートナーシップを育む龍馬の人脈開拓力(西村克己)

 龍馬の人脈は、剣の修業仲間であり親戚だった武市半平太(土佐勤王党を結成)から長州藩へと広がっていきます。1862年、龍馬が28歳の時、半平太の使いで長州藩の久坂玄瑞と対談したことがきっかけでした。桂小五郎、高杉晋作と初めて会ったのもこのときです。この人脈は、後に薩摩藩の西郷隆盛の人脈と相乗効果を高めながら、薩長同盟の足がかりを築きます。

 勝海舟にたどり着くまでの人脈は、剣術があってこそでした。千葉貞吉道場の塾頭千葉重太郎(千葉貞吉の長男)の人脈で、越前福井藩主の松平春嶽に会うための紹介状を書いてもらっています。春嶽は12代将軍徳川家慶のいとこで、有能な藩主として明治維新後も重要な役割を果たしました。龍馬は春嶽から勝海舟に面会する紹介状を得るのです。海舟にほれ込んだ龍馬は、すぐに門人となります。

キーパーソンとパートナーシップを育む龍馬の人脈開拓力(西村克己)

 龍馬は海舟が設立した神戸海軍操練所で塾頭を務めますが、海舟の幕府批判で解散させられます。その後、海舟の紹介で西郷隆盛に引き取られ、薩摩藩のお墨付きで貿易商社の亀山社中を設立します。薩摩藩としても、龍馬たちの航海の技術が欲しかったのです。

 亀山社中は海外貿易の拠点である長崎の亀山の地に本拠地を置きました。長州藩が資金を出し、薩摩藩名義でユニオン号(300トン、船価3万7700両)を購入しますが、このユニオン号の輸入により、龍馬はグラバー商会のトーマス・グラバーとの人脈をつかんだのです。

 その後、長州藩への武器弾薬の輸入で亀山社中は利益を上げます。また、亀山社中の解散後、土佐海援隊を結成できたのは、グラバーとの人脈も大きかったといえます。

 薩長同盟の役割を終えた亀山社中は土佐藩に移り、土佐海援隊として活動します。土佐藩大観察の後藤象二郎は海援隊で龍馬を支援しますが、経済的には土佐藩の海外貿易を活発にする狙いがありました。龍馬が最終的に脱藩を許されたのは、後藤象二郎との人脈です。

 薩長同盟により薩摩と長州が幕府内での発言権を増す中、土佐藩の存在価値が薄れていました。象二郎は、幕府に対しての発言権をどう取り戻すかに悩んでいました。そこで龍馬に相談し、龍馬が発案したのが「船中八策」です。船中八策は象二郎から土佐藩主山内容堂、そして幕府へと渡り、大政奉還につながります。土佐藩が発言権を得た瞬間でした。

 既存の人脈を生かして新しい人脈を切り開く龍馬の人脈開拓力は、薩長同盟を実現し、大政奉還へとつながったのです。

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キーパーソンとパートナーシップを育む龍馬の人脈開拓力(西村克己)

西村 克己(にしむら・かつみ)
ナレッジクリエイト代表取締役、日経ビジネススクール講師

 1982年東京工業大学大学院経営工学科修了。富士フイルムを経て、90年に日本総合研究所に移り、研究事業本部主任研究員として経営コンサルティング、社員研修会などを多数手がける。2003年から芝浦工業大学大学院教授を経て08年客員教授。現在、昭和ホールディングス社外取締役、株式会社ナレッジクリエイト代表取締役。専門分野は、経営戦略、戦略思考、プロジェクトマネジメント、ロジカルシンキングなど。
 著書は『持たないで儲ける会社』(講談社+α新書)、『1分間ドラッカー』『1分間コトラー』『1分間ジャック・ウェルチ』(以上、SBクリエイティブ)、『ゼロから始めるプロジェクトマネジメント大全』(大和書房)『問題解決フレームワーク44』『戦略決定フレームワーク45』(学研パブリッシング)、『ポーター博士の「競争戦略」の授業』(かんき出版)など120冊を超える。

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