株主価値経営の意義は何か
さらには、このように同じコーポレートガバナンス改革において、日米では解決すべき課題が対照的になる根本的な理由として、そもそも会社というものの成り立ちや性格が欧米と日本では異なるのではないか、という本源的な問いかけをすることもできるのだ。つまり、一方では、会社とは株主によって所有され、その株主の付託を受けた経営者が、従業員も経営資源の一つとして活用しながら、株主価値の追求をしていく、というこれまで述べてきたような英米的な企業観である。この場合の会社とは、経営資源や取引関係を束ねる契約の集合体という考え方に立つ。このような企業観を学術的には「法人擬制説」と呼ぶ。
それに対して他方の考え方に、会社とは実体のある有機的な人間集団であり、経営者とはその人間集団を代表して会社の経営を司る存在である、とする企業観がある。これは学術的に「法人実在説」と呼ばれる。明らかに「法人実在説」の方が、日本人の我々が日ごろ感じている「会社」の成り立ちとしてしっくりくるのではないだろうか。
だが、株式会社である限り、日本企業であっても会社法の規定するところも含めて、その建て付けは前者の英米型の企業観に則っているのだ。このような制度と実体のねじれが、日本企業に特徴的なコーポレートガバナンス問題の構図なのである。だが、この二つの異なる企業観も、対立概念なのであろうか。このことは、日本企業のガバナンスを考える上での重要な論点である。
それを考える上で、まず我々がここで注意しなければならないのは、株主価値経営というものが、短絡的に株価を高めることに主眼をおく経営ではないということだ。あるいは、株主の利益を絶対視して、他のすべては経営資源として無人格に扱って良いということでは当然ないのである。
後者に関しては、企業が成長力や収益力を高めて持続的に株主価値を創造するためには、優秀な従業員を採用し戦力化していくことは必須であり、論を待たない。人材の育成と採用は、洋の東西を問わず経営者の最重要な責務と言っても過言ではない。つまり、株主価値創造を目指すということと、人材育成を重視することとは全く対立する概念ではないのである。それでも、結局は株価を上げることが主眼ではないのか、と言うかも知れないが、それはそうではないのである。
では、英米的企業観の根底にある株主価値経営の本質とは何かと言えば、株主価値の創造を目的とする経営ではなく、株主価値の創造を規律とする経営と考えるべきなのである。
文章上は僅かな違いの様だが、その意味するところは大いに異なる。